荒井義行の平成意見箱/収拾に向けて歩み寄り皆で困難を乗り切ろう


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協約書の白紙撤回を示唆 解決策を見出してほしい 


 突然の「協約書」の提案で混乱を招いていた横浜FCだが、1月28日に、横浜駅の近くのホールで開かれたソシオ・フリエスタの公開理事会に、横浜フリエスポーツクラブ(YFSC)の奥寺代表取締役も出席。ソシオ・フリエスタの数理事長との「合意事項」を発表、ようやく収拾に向けて歩み寄り始めた。

 奥寺社長と数理事長の「合意事項」は「現時点では解決すべき課題や双方の認識の相違はあるものの、ともに横浜FCの発展を目指す仲間として、一層の信頼関係を築き、必ずその問題点を乗り越えるべく、協定書・協約書のいずれも現時点では前提とせず、2月下旬の解決をめどに、即時、協議を開始することを双方の代表者で確認した」というものだ。奥寺代表が協約書の白紙撤回を示唆したとも受け取れる内容であり、会場に集まった150 人ほどのソシオ会員も、奥寺代表を拍手で迎え、拍手で送り出していた。

 会社が今回提案していた「協約書」は、個々のソシオ会員と運営会社が直接、協約を結ぼうとする内容であり、ソシオ理事会外しと受け取られ、このままでは多くの会員が脱落し、クラブは崩壊するのではないかと心配されていた。

 そもそもこのクラブの生い立ちを振り返ってみれば、絶対に潰してはならないクラブである。横浜マリノスに吸収合併された横浜フリューゲルスのサポーターや、フリューゲルスの指導を受けていた横浜市内の少年スポーツの指導者が署名を集めたことが始まりだ。50万人近い署名が全国から寄せられた。それは企業の論理による合併への抗議であり、企業の業績に左右されない市民クラブの創設を求めるものだった。

 応援してきたチームが消滅してしまう悲しみと、受け皿も考えずにチームを投げ出してしまうような企業への怒りから生まれたチームであり、結局はちりちりばらばらにされてしまったが、プレーするチームがなくなってしまう選手たちへの同情が署名のスタートだった。

 バブル崩壊時に、短期間に全国から6700万円も寄せられた「フリューゲルス再建基金」には、いろいろな思いが込められていただろう。「将来的にはフリューゲルスを受け継いで応援したい」「企業の論理に左右されない市民クラブを立ち上がらせてほしい」などの願いが込められていただろう。J1がダメ、J2も認められず、再三の危機を乗り越えて、ようやくJFL加盟が認められた時には、天にも登る喜びを感じたはずだ。「フリューゲルス再建基金」として集めたお金であり、Jリーグにも加盟できなかったのだから、返さなければならないと議論されたが、返金要求はほとんどなかった。それも、新しい形の市民クラブを求めていたからだろう。

 日本には前例がないクラブ作りであり、"大いなる実験"でもあったので、越えなければならない高いハードルや、試行錯誤、意見の衝突もあった。運営会社であるYFSCとソシオ会員との関係をどのように取り結ぶかが、最初から難しい課題として挙げられていた。年会費3万円のソシオ会員の募集は「ソシオ憲章」だけを根拠にしていた。ソシオ規約を作成するときも、YFSCとソシオ会員の繋がりと年会費の流れが、最大の論争点となったが、「協定書」で結ばれることで落ちついた。

 年会費の流れも、本来なら会員はソシオの会費を納入し、その中からクラブが必要とする経費を供与する形が望ましいとされたが、すでに直接クラブに払い込まれており、税法上の問題もあるので、とりあえず現行の方法でいくことにまとまったものだ。

 これまでも、意見の対立や多くの問題点をクリアしてきたのだから、今回も解決策を見出してもらいたい。ある意味ではソシオ・フリエスタと横浜FCは、「市民スポーツクラブ作り」という「革命」に携わっているといえよう。政治的な革命の歴史は、内部分裂がつきもののようだ。スポーツでも「革命」は方向性の対立などから、内部分裂は避けられないものかもしれない。

 会社の運営方針の対立、理事会内での意見の衝突で、内部分裂の危機があったが、今回の対立はクラブそのものの崩壊を招くような重大な対立だ。運営クラブとソシオの関係という根本的な課題かもしれない。しかし、これを乗り越えなければ「真の市民スポーツクラブ」への道は開かれない。